参考人質疑 H27.5.12
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○重徳委員 維新の党の衆議院議員、重徳和彦と申します。
きょうは、参考人の皆様方、大変お忙しい中をお越しいただきまして、また貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございます。感謝を申し上げます。
さて、私の方からは、今、鈴木委員からの最後の質問にありました、調書中心から公判中心主義へと移っていくことに関連しまして、事前にいただいております前田参考人の資料、「法律のひろば」昨年四月号の特集記事の中で、まさに今、前田参考人がおっしゃいました平野龍一先生の言葉、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と。一九八五年の言葉でありますけれども、これは何を言っているかというと、「我が国の刑事裁判が余りにも捜査に傾きすぎて「検察官司法」の様相を呈し、裁判所は「有罪か無罪かを判断するところ」ではなく「有罪であることを確認するところ」となっている現実」について平野先生は指摘をされていたということでございます。
この問題意識なんですけれども、法廷における供述が裁判員制度においては非常に重要になってきておりますから、これを公判中心主義と呼ぶということですが、これに対して、従来は、供述調書に過度に依存をしてきた、警察、検察における捜査がそのようなものであったということでございます。
したがいまして、刑事手続そのものが真相解明に過度に躍起になっているということで、大変厳しい取り調べが行われ、また、時に虚偽の自白を強要するようなこともあり、これが冤罪の要因になっていたということであります。
この記事の中にもあるのですが、これは全てそうということではないでしょうけれども、公判における証言についても、検察官のつくった調書に基づいて、こう聞いたらこう答えろという打ち合わせが済んでいるというようなことも含めて、判断をするべき裁判官にその調書の内容を全部すり込んでいく、そういうようなことで、結局、検察官の心証イコール、ニアリーイコール裁判官の心証だというようなことが、これまでの、特に裁判官裁判時代では往々にしてあったのではないかというような指摘がなされているわけでございます。
そこで、まず前田参考人、そして大澤参考人、江川参考人にもその後続いて同じことをお聞きしたいんですが、裁判員制度を前提とした検察官の取り調べの適正化ということについて、どのようにお考えかということであります。
今回の国会でも、取り調べの可視化も一部導入されるという法案が提出をされることになっております。それから、この論文の中でも、前田参考人からは、弁護人の取り調べ立ち会い権を含む、被疑者、被告人が弁護人の援助を受ける権利を保障するなど、システムとして取り調べのあり方そのものを少し変容させていくようなことが、裁判員裁判の導入に伴って、つまり公判中心主義の裁判に伴って必要ではなかろうかという御指摘があるわけなんですが、まず前田参考人から御意見を頂戴したいと思います。
○前田参考人 裁判員裁判は、普通の市民の方が判断者として裁判に関与する。かつては、職業裁判官が、検察官の作成した供述調書、これをじっくり法廷外で読み込んで、事実を確認するというか心証を形成する、そういう構造で行われましたが、裁判員裁判ではそういうことはできません。したがって、どうしても、それは、公判廷における供述が証拠の軸とならざるを得ないわけでありまして、そのことが調書に依存しないという形での裁判手続につながっていくのではないかということを申し上げたわけであります。
やはり検察は訴追する立場でございますし、我が国の検察の起訴した事件の九九%以上が有罪になっているという現実は、検察が一定程度のふるい分けをしてきた、そのふるい分け自体が適正であったがゆえにこういう高い有罪率になっている、こういう説明を一通りすることはできると思いますけれども、その中に、やはり過度に取り調べに依存してというか、取り調べ過程で得られる供述に依存して、それがまさに真実と合致しないものとして作成されてしまって、それが結局裁判所の判断にも影響を与えて、それで無実の人が有罪になってきたというのが我が国の過去の冤罪事件の典型的な事例であったわけで、そういうことが裁判員裁判を契機としてなくなっていくようにしたいという思いが刑事弁護にかかわる我々の立場としてございました。
そういうことでございますので、やはり、過度に取り調べに依存して、そこで得られた供述、そこでつくられる供述調書に依拠して刑事裁判を動かしていくということを変えることが、冤罪を防ぐためにも必要ですし、取り調べ過程における被疑者の人権を守るという観点からも必要なのではないかというふうに思っているわけでございます。
裁判員裁判の対象事件というのは、全体の事件数から見ると三%程度でございますので、刑事司法のほかの九七%は裁判員裁判の対象事件ではないわけでございますけれども、対象が重大な事件ということで規定されておりますので、ほかに対する影響力も大きいわけですね。
ですから、裁判員裁判の、重大事件であるということからくるほかの事件への波及力、影響力ということも考えますと、裁判員裁判の事件におきまして、きちんとした適正な取り調べを行っていくということが、やはり公判中心の、公判における供述が証拠の軸になるというその構造をしっかり本物にしていく重要な要素だろうというふうに私は考えております。
しかし、検察の方の基本的なスタンスはきちんと訴追する立場にあるので、その責任を果たしていくということで、基本的なスタンス自体を変えているというふうには私自身の目から見ては思えません。調書の作成方法などにつきましては、従前から比べると相当変わってきたなという認識がありますが、やはり、調書、検察官の取り調べによって得られる供述が軸になるというスタンスは相変わらず変わっていないんだろうというふうには思っております。
○大澤参考人 刑事手続の捜査と公判の間の比重ということは、先ほど前田先生の論文を引用して御紹介もあったところでありますし、また平野先生が非常に問題意識を持っておられたところかと思います。
従来の日本の刑事手続というのは、非常に詳細な捜査、しかもそこでは取り調べが中心を占めて、詳密な捜査が行われ、その結果が調書として公判に出ていって、またその調書を精密に検討して公判の審理が進むということでございました。そのような状況を指して、平野先生は絶望的であると呼ばれました。ただ、平野先生はその前に、私の記憶では、陪審制か参審制でも採用しない限りというような留保もつけておられました。
そして、まさに現在の日本では、裁判員制度という形の国民参加制度が入っているわけでございます。その中で、公判が活性化をしてきた、供述調書中心の公判ということではなくて、証人の取り調べ、そこで直接に話を聞く公判という形に移ってきた、これは間違いのないところでございます。
そうすると、委員のただいまの御質問でありますけれども、それは捜査の段階にどのように返ってくるのだろうということで、ここは多分一番難しいところであろうかと思います。
裁判員裁判というのは、公判が始まりますと、一気呵成に進みます。そういう公判手続というものが後ろにあることを考えますと、やはり捜査は詳密にやるんだ、調書はそのまま使えないとしても、捜査は詳密にやって事件の像をきちっと固めておかなければいけないんだというのは、これは一つの行き方でございます。
しかし、供述調書等を詳密に使わず、公判で証人を取り調べ、公判で直接話を聞くということであるとすると、別の捜査のあり方というのもあり得るところなのかもしれません。
捜査の段階が変わる一つの可能性としては、裁判員制度が導入されたことに関して言うと私は両様あると思うんですが、その中で、公判段階に一般の国民が入って、一般の国民の目から見て、では今までの捜査というものがどのように見えるのか、それがどういうふうに見えるかによって今後の捜査のあり方というのは変わってくるところだろうと思います。まさにそれがありましたからこそ、取り調べ、供述調書に過度に依存した捜査、公判のあり方の見直しということが法曹三者の間でも共通の課題として認識をされ、録音、録画に向かった動きというのも動いてきているところかと思います。
その意味では、私は、裁判員制度があったことというのは、そういう動きの一つの重要な背景をなしたというふうに考えています。
○江川参考人 気をつけなきゃいけないのは、裁判員裁判を余り過度に絶対視するというのは違うと思うんですね。裁判員だって間違うことはあると思うんですよ。
私も実際、裁判員裁判を傍聴して、判決を見て、これはかなり検察の組み立てに引っ張られているなというふうに感じたことはあります。そういうときには、一つは検察のプレゼン能力が高いということもあり、あるいは、裁判所がいろいろと、助言とか、それから証拠の整理とか、そういうのをしたのかなというのが全然見えないわけですね。だから、やはり、そういうことをチェックする上でも、守秘義務の問題というのはもう少し緩やかにする必要があるんじゃないかなというふうに思うわけですね。
つまり、裁判員裁判は絶対ではないし、ましてや国民に間違った裁判をさせるということのないように、いろいろなことをしなきゃいけない。証拠の開示だってそうだと思うし、可視化だってそうだと思うんですよね。ですから、そういう意味で、やはり進化をしていかなきゃいけないし、そういう途上にあるんだろうなというふうに思います。
○重徳委員 ありがとうございます。
もう一点、お三方に質問したいと思います。
裁判員裁判が導入されてからも、これもまた前田参考人の論文の中にあるんですが、検察官の起訴基準というものは変わっていないんですね。最高検察庁の裁判員裁判における検察の基本方針においては、「的確な証拠によって有罪判決が得られる高度な見込みがある場合、すなわち公判廷において合理的な疑いを超える立証をすることができると判断した場合に限り、適正な訴追裁量の上で、公訴を提起することになる。」と。この部分は変わっていないということなんです。まあ、そうむやみに変えるものでもないんでしょうけれども。
ただ、現実、この委員会でも指摘をさせていただいているんですけれども、有罪率は裁判員制度になってからも九九%を超えているんですが、検察による起訴をする率が、五、六年前までは五〇%以上、六〇%台ぐらいが基本だったんですが、ここのところ、三〇%程度まで下がっているということもありまして、ありていに言えば、有罪率を確保するために起訴率がどうしても下がってきてしまう、厳しい裁判員による事実認定に耐え得るような、そんなようなことがあるかもしれない、そういう可能性も感じているところなんです。
この起訴率といったもの、それから、有罪率が裁判員制度になっても今までどおり維持されるべきなのかどうか、このあたりについてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○前田参考人 なかなか難しい御質問で、起訴率の低下の要因がどこにあるのかというのはちょっと私の立場から何とも申し上げかねますけれども、刑事弁護にかかわる立場から申し上げますと、やはり被疑者国選の拡大がございまして、被疑者段階での弁護活動が活性化した、そのことによって、検察官において起訴猶予等をしてもよいという判断をされた事例が、数としてはどのくらいあるかまで把握はしておりませんけれども、一定程度あるのではないかと。起訴率の低下の一つの要因として被疑者弁護活動があるのではないかというふうに、刑事弁護人の立場としては考えているところでございます。
ただ、検察の起訴基準をどうするかというのは非常に難しい問題でございますけれども、まさに刑事司法手続の全体を、検察を軸に置いた今までのやり方を変えて裁判所に軸を置く、要するに、裁判所でやるべきことが非常にふえるという構造になるわけで、それが全体としてどうなのかというのは非常に難しい問題でございます。ここで私の方で簡単に答えが出るものではないんですけれども、公判中心ということをうたう以上は、従前の、検察官が裁判官に成りかわって有罪か無罪かの判断をした上で、それを裁判所に公訴提起する、そういう構造を変えるということもあっていいのではないだろうかというのが私の個人的な意見ではあります。
それがまさに裁判所における公判中心主義につながるのかというふうにも考えますが、なかなか難しいところでございまして、何とも答えとしてはすっきりしないというところもございます。
○大澤参考人 大変難しく、かつ、刑事司法のあり方を変えていく上での本質にかかわる御質問だというふうに受けとめました。
それで、まず、従前、有罪率が非常に高かったというのは、これは検察官が起訴の段階で緻密に事件を振り分けて、危ない事件については基本的に起訴しないという運用をかなりしていたというところが一つ大きな影響を持っていたのだろうと思います。
まさに起訴、不起訴の段階で本当に起訴すべき事件を緻密に振り分けようということだとしますと、その前提として、捜査が非常に詳細に行われなければならないということになります。まさに、従来の取り調べを中心とした詳細な捜査というのは、それを支えていたわけです。
その点で、先ほど引用された平野先生などは、むしろ、捜査をあっさりさせるとともに、起訴もあっさりさせるべきだということを言われておりました。ただ、起訴をあっさりとするためには、起訴された後、公判に行って無罪になってしまう、それがたくさんふえるということが直ちによいことかというのも、これまた難しい問題でございます。
そうすると、捜査の段階では必ずしも固まっていなかったけれども、公判の段階で新たにプラスアルファとして出てくるようなものというのがあって、それを期待しつつ起訴をするというような仕組みができてくれば、そのような動きというのもあるのかもしれません。そのあたりとの関係で考えなければいけないところかと思います。
ただ、全体として、取り調べ、供述調書に過度に依存した捜査のあり方ということについて反省の動きが出てきていますので、起訴の基準、有罪の確信を持てるというラインそのものは変わらないかもしれませんけれども、事件の固まり方自体は少し変わってくるというところがあって、それがまた、弁護側から公判でいろいろと防御活動をしていくことで事件の帰趨が変わっていくというようなことにもつながっていくのかなというふうには思っております。
○江川参考人 起訴率が低下しているということについては、その内容はきちっともう少し分析した方がいいと思います。何も、裁判員裁判だから下がっているという問題ではないんじゃないかなと。例えば、殺人で逮捕されたけれども不起訴になった例がふえているかというと、そうでもないんじゃないかなという感じがするんですよね。
ちょっと思い当たるのは、知的障害者の問題であります。
刑務所の中にも知的障害者がたくさんいるということで問題になり、そして、取り調べの録音、録画のときに、知的障害のある人たちも対象にしようということを検察が始めた。そういう中で、かつてだったら、刑事司法のライン、捜査、裁判、刑務所、つまり、捜査、司法、矯正のラインをぐるぐる回っていた人が、そうではなくて、むしろ福祉のラインの方に乗せなければいけないんじゃないかというような意識が法務省の方の中にも高まってきて、刑務所の中に社会福祉を入れるとか、あるいは捜査段階でそういった専門の方の助言を得るとか、あるいはそういう施設といろいろ相談をするとか、そういう動きが少しずつ始まってきているんですね。
やはりこういうことがどんどん広がって、とにかく刑事のラインでぐるぐる回っているというのではなくて、もっと福祉との連携というのができるようになり、そして起訴率が下がっていくということであれば、これは結構なことだと思うんですね。
ですから、先生方も、ここは法務委員会でしょうけれども、厚生労働関係のことをやっている先生方とも連携して、やはり刑事のラインとそれから福祉のラインの連携というのをもっともっと進めていただきたいなというふうに思います。
○重徳委員 ありがとうございました。
今後もしっかりと審議してまいりたいと思います。ありがとうございました。