H25.11.13 厚生労働委員会
○後藤委員長 次に、重徳和彦君。
○重徳委員 日本維新の会の重徳和彦です。
きょうも、社会保障プログラム法案の中の年金の部分についての質疑をさせていただきたいと思います。
今の年金制度、二〇〇四年、平成十六年に、こだわるようですが、百年安心というふうにうたわれて始まったわけですが、その前に、過去の我が国の年金制度、前回振り返りましたが、これは昭和十七年から、つまり今から七十年前にスタートしたわけですね。七十年の間に本当にすごい変容を遂げて今に至るわけで、百年後まで安心というのはどれほど大変なことかということを改めて御指摘申し上げたいと思います。
前回の香取局長の御答弁をちょっとおさらいしてみたいと思うんですが、昭和十七年に始まったこの年金制度、まずは事前積立方式で始まりました。一一%という高い保険料設定で始まった。しかし、戦後、非常に急激なインフレになりまして、当時、既に数年分の積立金がありましたが、大幅に目減りをした。高い保険料を賦課することが事実上不可能ということで、保険料は一旦引き下げて、その後また段階的に上げる、こんな制度設計に切りかえたというわけですね。
その後、戦後の高度成長期、昭和三十年代、四十年代、その時々の経済情勢に合わせて、年金の給付改善、事後的に給付の部分だけ上げる、さっきは年金保険料の話でしたが、給付を上げる。給付の実質価値を維持するために、年金の物価スライド、あるいは再評価と言われる、現役時代の所得水準を現在価格に置き直すという形で、非常に大きな給付改善をしたという御答弁でございました。
このように見てくると、戦前戦後を通じまして、保険料負担は大変だというときには保険料負担を引き下げて、それで、物価が上がって経済が成長している、こういうときは給付を引き上げて、負担と給付、本当はバランスをとって一体で考えなきゃいけないのに、それぞれ、調子が悪い、ぐあいが悪いから、ちょっと引き上げたりとか引き下げたりとか、何かその時々の都合で、確かにいい時代でした、右肩上がりでしたから。そういう時代背景の中で別々に議論をされてきた、こんな印象を受けました。
そんなふうであれば、当然、常に給付は高い方へ行くわけです、負担は低い方へ行くわけです。こういうような印象を受けたんですが、この負担と給付のバランスにつきまして、これまで七十年間の議論の中で、果たしてどれほど意識されてきたのか、議論されてきたのか、このあたりについて御質問したいと思います。
○香取政府参考人 御答弁申し上げます。
前回も御答弁申し上げましたが、今先生お話ありましたように、当初、昭和十七年は、事前積み立てを開始したものでございます。このときの保険料の設定の考え方は、平準保険料という考え方でございまして、事前に積み立てる保険料の水準を、同じ率で一定期間掛けるという保険料の設定をいたしまして、今お話がありましたように、当時の平準保険料、昭和十九年でございますが一一%ということで、そこで始まったものでございます。
お話ありましたように、これで積み立てが始まるわけですけれども、いわば年金制度といいますか、社会保障制度には避けられないことですが、事後的にさまざまな、大きな経済変動が起こるということになります。この例でいいますと、戦後の極端なインフレという大きな経済変動があった。このことで、今お話ありましたように、あらかじめ積み立てた積立額が、いわば事後的に積み立て不足を生じるという事態に陥ったということであります。
そうしますと、本来であれば、平準保険料そのもので取っているわけですけれども、それをさらにまた上げるという議論になるわけです。残念ながら、当時の日本の経済状況は、もはやそういうことが許されないという非常に厳しい状況だったということで、保険料の引き下げをするという形でそのときには対応いたしたということでございます。その意味では、厳密に言えば、この段階で、前回も御答弁申し上げましたが、平準保険料事前積み立てという形は放棄をした形になっております。
その後も、下げた保険料についてはどうしたかといいますと、段階的に平準保険料に戻すということで、事後的に上げていくということにいたしました。その意味では、保険料の引き下げを行ったのは実はこのときだけでございまして、この後はずっと保険料は順次上げていって、現在の水準にまで来ているということでございます。
他方、お話ありましたように、給付に関して言いますと、事前積み立ての方式ですと、いわば名目額で年金を保障するということになりますので、インフレになってどんどん進んでいくと、もうどんどん年金の実額が下がっていくということになります。
そうしますと、年金制度としては、老後の生活保障をするという観点からしますと、年金額の改定というものをどうしても行わないと、公的年金として老後の生活保障が守れないということになりますので、この後、事後的に、いわば名目額の年金額を引き上げるという形で年金額の改定をしてきたわけでございます。それが、昭和四十八年の段階で、いわゆる制度的にその時々の実額を保障するという形で、再評価制度というものと物価スライドを入れたということでございます。
お話しのように、保険料の引き上げはそれに見合ってやってきたわけですけれども、やはり、いきなり平準保険料、もともとの保険料水準まで一気に戻すということはなかなか難しかったということと、当時の議論をひもといてみますと、実はまだ年金制度は成熟しておりませんので、受け取っている人が非常に少ない、掛けている方が非常に多いという状態でしたので、年金制度自体は非常に大きな黒字を出していた。つまり、積立金がどんどん積み上がるという状態になっておりましたので、いわば黒字の状態の年金制度をさらに保険料を上げるということは、非常にこれは合理的には困難だった。
むしろ、当時の議論を見ますと、直ちに全面的な賦課方式に移行して、積立金を取り崩して給付に回したらどうだと。年金財政的にはちょっと耐えられない議論なんですが、むしろそういう議論があって、そういうことで保険料の引き上げは難しかった。それでも、段階的に、五年ごとに千分の十八とか二十とかいう、かなりの額で保険料の引き上げをずっとしてきたというところでございます。
最後に、御案内のように、平成十六年の改正で、現在のマクロスライドを入れた、保険料の上限を決めて給付の方で調整をするという形にして、積立金は世代間の負担の公平の調整を行うためのバッファーのファンドとして使うという形の現行制度に今は落ちついた。
経緯としてはそういうことでございます。
○重徳委員 結局、今の話をお聞きしますと、年金財政という基本的な仕組みを、その時代、時代背景の中で、積立金が多過ぎるね、だからこれ以上掛金を集めるのは難しいと。だけれども、理屈は合わないわけですよね、年金財政的には。そういうところで、いわばまけてしまうということで、いい方、いい方へと、その時代、時代で進んでいってしまう。これが今の結果をもたらしてしまっている。
これはいろいろな試算はあると思うんですけれども、今の高齢者の方が受け取っている年金の水準は、非常に高いというふうな見方があります。本来というか、掛けたお金の数倍、六倍とかそういう数字もあって、これはやはり世代間の格差、不公平をもたらしている。
この原因は、やはり、年金財政的には合理的でない判断が、長く言えば七十年の間に行われてきたということでありまして、これから百年間を見通してきっちりと維持できる制度をつくるというのは、本当に覚悟の要ることだと思っております。基本は、やはり、負担と給付は常にバランスしていかなければどこかでひずみが出るわけですから、まさに今、恐らくこういう少子高齢化の事態も予測不可能な事態ではないと思うんですが、それにもかかわらず、なかなか是正が進まずに今に至る、こういうことであります。
要は、次に、今のような話を前提にちょっとお聞きしたいんですけれども、こういった事後的な諸事情によりまして、なし崩し的に制度がどんどん変わってきてしまった。積立方式だったのに、気がついてみれば、賦課方式としか言いようのない制度になってきてしまった。
でも、これは、いわばモラルの問題とでもいいましょうか、払った分だけ返ってくる制度を堅持するんだということさえ守っていれば、多少のそごがあったとしても、そこの部分をきちんとするという姿勢、あるいはそれに基づく制度の運用さえしっかりしていれば、これは積立方式を維持しようと思えば維持できるんだ。逆に言うと、言葉は適切かわかりませんが、そういったモラルが崩れてしまった瞬間に賦課方式に陥ってしまうんじゃないか、こういう見方もできるのではないか。結果として世代間の格差が開いていく、こういうことであります。
何が聞きたいかというと、事前積立方式と賦課方式、これは二つの全然違う制度のように受けとめられることもあるんですが、本質的には、今申し上げましたように、特段の、大きな抜本的改正によって制度が変わったとかいうことよりは、単に負担と給付の関係にすぎないのではないか。したがって、今、賦課方式と言われることについても、積み立ての方式に切りかえていくことだって可能なのではないか、こういう含意でお尋ねしたいと思うんですが、事前積立方式と賦課方式の違いについてどのように認識されているか、御答弁をお願いします。
○田村国務大臣 事前積立方式というものがどういうものを念頭に置かれているのか、積立方式というのはいろいろありますから。個人勘定で積み立てられるという方式なのか、ちょっとよくわかりませんが、積立方式の最大の弱点は運用失敗です。厚生年金基金が最たるものです。運用失敗をすれば、もらえません。ですから、幾ら掛けたら幾らもらえるかなんという話が、全てオジャンになってしまうわけですね。物価もあるでしょう。
そもそも、日本がなぜ積立方式から今のような形になったか。これは日本だけじゃなくてアメリカやドイツもそうですが、当初、積立方式でスタートしたんですけれども、それがもたなくなった、だから変わっていった、そういう歴史があります。
一方で、いい点は何かというと、失敗しようが何しようが、あなた、自分の責任だよねと。ですから、次の世代は知らないよ、国も知らないよ。これはもう、国の財政には影響ありませんし、次の世代には影響がない。もちろんそれは年金財政だけの話で、親が失敗して生活できなければ子供が面倒を見るという話になれば、同じことなんですけれども、あくまで年金財政だけの話をさせていただきます。ただ、積立方式はそういう話ですから、後世の負担がないですね、その部分だけ考えれば。
賦課方式は、まさに少子化に対しては厳しいです、常に保険料を払わなければいけませんから。完全賦課方式ですと、これはもう大変ですね、今のような人口構成ですと。年金がもちません。これが賦課方式の最大の弱点です。
ですから、積立方式も賦課方式も弱点はそれぞれある。逆に言えば、裏返せば、これは利点です。
そこで、今の日本の制度というのは修正賦課方式。つまり、積立金を一定程度持っていますから、若干の運用失敗というものに対しても、これは一方で、こちらの方から賦課方式で保険料が入ってきますから、対応できる。一方で、少子化に対しては、積み立てがありますからね、積立金が。これで少子化に対しても、この大変な今の少子化の中においても年金を維持できる。
ですから、両方のいい部分をハイブリッドにしたというのが今の制度でございますので、本質的な違いというのは先ほど言ったようなところでありまして、移行できるかどうか、何か、今委員、賦課方式から積立方式に移行できるというような話がありましたけれども、なかなかこれは難しいと思います。
この後議論になるんだと思いますが、足らない部分をどうするんだとか、いろいろな議論がありますから、その大きな課題を解消するのと、今言ったような、積立方式にした後に、何か運用失敗なんかしたときの補償をどうするんだという問題だとか、そういう問題を考えると、なかなか戻すというのは難しいんじゃないのかなというのが私の認識であります。
○重徳委員 大臣、所用から早くお戻りいただきまして、ありがとうございます。
ところで、今大臣から、積立金の話が図らずも出てまいりました。積立金は、確かに、今おっしゃるような文脈でいえば、積立方式でお金がたんまり積み立てられました、これを運用失敗したらどうするんだ、そういうリスクにさらされる、それはその限りにおいてはわかります。
ただ、一方で、今、二〇〇四年から積立金をきちんとしっかり管理しながら、二〇〇四年の改正以降、俗に言う百年安心という仕組みを続けられるんだ、こういう中でなんですけれども、結局、運用云々ということ以外の原因によりまして、二〇〇四年以降の厚生年金、国民年金の積立金の残高というのが、大幅に取り崩されているのではないかというふうに思うんですが、まず、残高の推移をお尋ねしたいと思います。
○香取政府参考人 御答弁申し上げます。
直近の財政検証が平成二十一年でございますが、二十一年以降の厚生年金、国民年金の積立金、これは基金の代行部分を含んだ金額になりますが、二十一年度末が百五十八兆四千億、二十二年度末が百五十兆六千億、二十三年度末が百四十八兆八千億ということになってございます。
この金額は、財政検証の見通しと比べますと、二十三年度末段階では実績が見通しを三兆円ほど下回っておりますが、二十四年度の運用実績が非常に良好でございましたので、まだ基金分が入ってこないのでもうちょっと時間がかかりますが、厚生年金分だけでもかなりのプラスが出ておりますので、二十四年度末ということでいいますと、恐らく、この差額が解消されまして、財政検証で想定した積立金を上回る積立金の残高になるであろうというふうに想定しております。
○重徳委員 それは、運用の面ではそうだ、そういうそれなりの結果が出ているということだと思うんですが、本来、積立金は負担と給付のバランス調整をするためにあるわけでありまして、その調整弁として存在する。
そして、二〇〇四年から今に至る約十年の間ですが、デフレだった。これは別に年金制度とは関係ない要因でありますが、デフレだったということをもちまして、長らく物価スライドが行われてこなかった。つまり、特例水準と言われます、デフレなのに、そのとおりに水準を下げることはせずに、特例的な水準、高どまりをしてきた。
さらに、マクロ経済スライドという、これも誤解を招きやすい言葉だと思うんですが、少子高齢化に対応した自動調整システム、これも、二〇〇四年に導入したはずなのに、そして自動的に調整されるはずなのに、一度も適用されずに今に至る。
こういうことで、ここもいろいろな試算があると思うんですが、七兆円ぐらい余計に本来は積立金が残るはずのところを、七兆円規模取り崩してしまったというような数字が手元にはあります。
そういう意味も含めまして、積立金の残高というのは予定どおりの推移なのかどうかについて、大臣にお聞きしたいと思います。
○田村国務大臣 平成十六年の改正の後、二十一年に財政検証をやりました。五年ごとであります。今度は二十六年でありますけれども。
要は、十六年の数字というのは一度もうクリアして、二十一年に再計算をし直しております。その時点で、今のルールで財政均衡をちゃんと行えて、しかも、お約束している部分、給付の部分に関しますと、一定のモデル所得世帯のケースで、所得代替率が五〇%という約束をしております。
これが割れますと何らかの手だてを講じなきゃなりませんが、これを二十一年のときの財政検証で割れないモデルで均衡しているという中において、積立金が、今、多分、二十五年度の非常にいい状況、二十四年度の後半もよかったわけでありますが、二十五年度も好調であります。そういうのを見ていきますと、積立金が予想よりも、今局長の方からお話がありましたけれども、かなりいい。今、足元で、厚生年金だけで六兆円を超えておると思います、余計に予想よりも積み上がった部分が。だから、いい状況であります。
ただ、おっしゃられるとおり、本来、物価スライドをかけなきゃいけないのを、我々自民党政権のときに、意気地なしでございましてこれをやらなかった。そして、民主党政権のときに、民主党さん、これは評価をする部分でもあります、一歩踏み出して、民主、自民、公明で特例水準の解消、二・五%という部分でありますけれども、この十月から始まった適正化、これに向かっております。
あわせて、マクロ経済スライドは、もっと早くかかっているはずだったのが、かかっていませんから、この部分というのがかなりありますが、それも織り込んだ上で、今、積立金は、足元、二十一年検証で、余裕がかなりあるのではないかというふうに推測はできるという状況であります。
○重徳委員 今、私が指摘する前に、大臣の方から、自民党が意気地なしという言葉が出ました。
全くそのとおりで、結局、過去七十年の間に、そのときそのときに、いわば流されて違う判断をしてしまったということの反省に立てば、やはり厳しいことだって、厳しいことなんて本来みんなわかっているはずなんですから、どれだけ厳しい時代かということをきちんと国民の皆さんにも伝えながら、やはり、耐えがたきを耐えるというんでしょうか、そういう部分がなければ、次世代に持続不可能な年金になってしまいますよ。したがって、若い人たちも年金のことを全然信用していないという昨今の状況です、こういうこともしっかりと伝えていかなきゃいけない、このように認識をしております。
ちなみに、先ほどちょろっと言いましたけれども、マクロ経済スライドという言葉も、何がマクロ経済なのか、マクロなのかミクロなのかわかりません。そういう問題じゃなくて、要は少子高齢化という人口動態のものですから、人口動態スライドとか少子高齢化スライドとか、そういうあたりもわかりやすく伝えなければ、マクロ経済スライドが発動したとかしないとか、自動調整が何とかといったって、一般の人には全然わかりません。私にもわかりません。
そういうことも含めて、とにかく一生懸命国民の皆さんと向き合って、今の状況を将来への責任ということを含めて伝えていく必要があるんだと私は思っております。
そして、保険料一八・三%を上限と決めてこの年金財政を持続可能なものにした、そういう中で年金財政を回していこうという内容が二〇〇四年に決まったわけなんですけれども、私は、本当はもともと質問しようと思っていたのは、年金財政上は持続可能なだけで、実際には、お年寄りの皆さんは、持続可能な生活ができないような年金水準になってしまうこともあるんじゃないかということをお聞きしようと思ったんですが、逆ですよね。
マクロスライドをやらないとか、いろいろな理由で年金の給付水準は維持したわけですから、逆に、その分だけ年金財政の方が、二〇〇四年のときに想定した状況よりも厳しくなっているのではないか。あるいは、今後の見通しとして、今回消費税一〇%ということでありますけれども、まずは八%ですが、八パー、一〇パーというだけでは、こんな調子でやっていたらまた足りなくなるんじゃないか。それは国民の皆さんは感じていますよ。一〇%で、もう二度とそれ以上は上がらないなんて本気で思っている人は、というか期待している人は多分いないと思います。
それにつけても、確かに高齢者の皆さんの生活を守ることは大事なんですけれども、その一方で、年金財政がどんどん破綻に向かっている、こういうことになってきているのではないか。この持続可能性が、今回は持続可能な社会保障制度というタイトルの法案でありますけれども、持続不可能な方向に向かっているんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
○田村国務大臣 委員が初め言われました、年金財政という意味ではこれは均衡化しますから、年金自体が破綻するということはないんだと思います。問題は、今言われたとおり給付の水準です。
そもそもマクロ経済スライドというのは、世代間の不公平というものをある程度是正するために、保険料を上限でとめて給付の方を減らしていくというやり方であります。でありますから、マクロ経済スライドがかかると、物価上昇率との見合いがありますからあれですけれども、実質的な年金の水準というものは下がっていくわけであります、名目は物価が上がればその分上がりますからという部分でありますが。
問題は、以前から私も指摘をしておる、これは心配な点であるんですけれども、まず、このマクロ経済スライドをかけるというのが、厚生年金等々は全体の支給額は一階、二階でありますから、先ほど言った所得代替率という部分で、ここを守れる水準なんですが、先に国民年金の方は決まっちゃうんですね、基礎年金の部分が。そうすると、仮定上といいますか、マクロ経済スライドが基礎年金の方に余計きいちゃうというような傾向がございまして、結果、国民年金の方々の目減り分というのが結構あるわけであります。
では、そこをどうするかというのは、大変大きな課題であります。これは、国民会議の中でもそういう議論はありました。
ただ、一方で、それも含めて、昨年、福祉的な給付、これをまた言いますと、これは年金なのか、公的扶助なのか、どっちだと怒られそうなんですけれども、これで一定程度はカバーするというようなことを昨年の国会で三党で合意して、法律を提出したというわけで、これは成立いたしました。
でありますから、そういうところである程度はカバーできますが、こういうような問題、これは、いろいろな国でもやはり年金の給付というものは課題として持っておりまして、同じような課題をやはり日本の国も抱えておることは事実であります。
○重徳委員 大臣から、先回りして、怒られそうだとかいろいろ言われるものですから、まさに指摘したいのは、そういうことも含めて、福祉的給付という名のもとに年金の足りない部分を補っていく、これはもう全然社会保険制度のらち外ですよね。
ですから、こういういろいろなことを考えて、持続可能というか、給付水準を維持しようとするものだから、税収から拠出しなきゃいけないことがどんどんふえていく。その前に、この年金本体の仕組みを抜本的に、わかりやすく、国民が納得できるような、そういう仕組みに切りかえていくべきではないか、これが私どもの主張であります。
前回、参考人質疑で法政大学の小黒先生が、研究者としての事前積立制度の仕組みのお話をこの厚生労働委員会の場でされました。
簡単に言えば、今は現役世代三人で一人の高齢者を支えていますから、一人当たり百万円ずつ負担して、お年寄りの三百万円という年金を支えている。ところが、このままいくと、二〇五〇年には現役世代一人で高齢者一人を支えるという人口推計が出されていますので、三百万を維持しようとすれば、支える方は三百万を出さなきゃいけない。逆に、支える方が百万で済むんだったら、給付は百万しかもらえない、こういう形になるわけです。
そんなことになるんだったら、今のうちから百万円を少し超えた金額を、百五十万円などという例示でしたけれども、一人百五十万円ずつ負担して、余計に負担した分は積み立てておく。それは別に、個人が負担するか、あるいは税金からという、いろいろな考え方はあると思いますが、トータルとして現役世代が、一定金額を事前に将来的な厳しい状況を見越して積み立てておこうじゃないか、そうやって今の高齢世代と将来高齢者になる世代が平準化されていく、こういうことなんです。
つまりは、現役世代からすれば、払った分だけちゃんと後で利子がついて返ってきますよと。まあ、運用失敗すればもちろん別ですけれども。基本的にはそういう仕組みでありまして、同時に税負担なんかを投入して、今、俗に暗黙の債務なんて言われているような部分は解消していくということになるわけなんです。
詳しい制度設計はいろいろとあると思うんですが、こういうことを、簡単に言えば賦課方式じゃなくて事前積立方式だというふうに理解いただきたいんです。
これについての問題点なり利点は先ほど大臣からお話ありましたが、こういった根本的な考え方を切りかえる、そういう意味での年金制度の改革ということが、今回の社会保障プログラム法案の中で、一体読み取る余地のあるところがあるのか、読み取れないのか。
今回の法案は、ほとんど論点整理みたいな法案で、ほとんど中身がないと思いますけれども、特にこの年金の部分なんか全然中身がありませんけれども、少しでも事前積立方式に切りかえる余地のある項目、条文というのはあるんでしょうか。
○田村国務大臣 先ほど、何とかの負債とおっしゃられましたけれども……(重徳委員「暗黙の債務」と呼ぶ)暗黙の債務。それは過去勤務分の債務のお話なんだろうと思います。
つまり、今年金をぱっとやめちゃえば、保険料を払った人たちは、権利は残るけれども年金はもらえないということが起こりますし、積立金を全部使っちゃうと、今もらっている人たちも、生きている間、本来もらえる権利があるものがなくなっちゃう。そのなくなった分というのはどれぐらいあるかというのが、大体、試算すると五百五十兆円ぐらいであろうというふうに言われております。精緻に計算したことはないから、そこまではっきりとは言えませんが、大体五百五十兆円付近だろうというふうに思います。
要するに、これを事前積み立てであらかじめ何年か何十年かに分けて払ってもらうとなりますと、多分、保険料を払った方は、これは自分の年金の保険料ですというのは確かに運用して返ってきますよね。でも、それ以外に、今までの債務を払う保険料も結構すごい金額を払わなきゃいけないわけでありまして、それを合わせた保険料でリターンを考えると、多分、払った金の方が多くなっちゃうという問題が起こってくるんだと思います、リターンより。
だから、この問題をどう解決するかというのは大変大きな課題で、余りにも金額が巨大過ぎるものでありますから、なかなか、この中で読めるのかと言うんですけれども、そこまではちょっと、今、事前積立方式、過去勤務債務を解消するような形でのものまでは、多分想定を、会議のメンバーの方々はされておられないのではないのかな。直接聞いたことがないものでありますから、私もはっきりとは言えませんけれども、そうなのじゃないのかなと。
ちなみに、そういう議論はなかったように記憶をいたしております。
○重徳委員 厚生労働省トップの大臣の御認識は、一定の方向性を決めたことをきちんと進めるというお立場でもありますけれども、恐らく、事務方の方ではいろいろな試算をやってしかるべきだと思っております。
ですから、五百五十兆円なのかどうかわかりませんけれども、また、積み立てのやり方もいろいろとあると思います。また、現世代だけで、五百兆なのか、七百兆なのか、そういう金額を返すというのはとても無理だけれども、やりようによっては、思い切って長期の国債を発行して、少しずつ後世代まで薄く負担を広げていくことによって、何とかこの制度を、積み立てという形をつくっていくとか、いろいろな考え方があるはずなんです。
ちょっとお尋ねしてみますが、今申し上げましたような、ちょっと前提がよくわからぬとかいろいろあるかもしれませんが、事前積立方式を仮に導入した場合に、その積立金というのはどのぐらいの、特にピークで幾らぐらいとか、何かそういった試算をしたことがあるんでしょうか。あれば内容を教えください。
○香取政府参考人 先ほどの積み立てか賦課かのお話ですが、国民会議の報告の中では、積み立てか賦課かというのは、自分が受け取る年金の権利を現物の積立金で持つか、請求権という形で持つかのいわば違いであって、そういう意味では本質的には違いがないという御議論が実はあります。
実はそのお話と今の御質問はちょっと関係するんですが、今の年金制度でも、掛けた保険料に見合っていわば給付が確定をするという仕掛けになっているわけですから、その意味では、お一人お一人の立場からすれば、自分の年金原資というものが、ある意味バーチャルに積み上がっていくという意味では、見ようによっては、自分の掛けた保険料が一定原資として積み上がるという意味で、積立方式だという御理解もできるんだろうというふうに思います。
きのうの参考人の小黒先生のお話でも、積立金は持つけれども、それは一定今の給付に使うという形で御説明をされておられましたので、いわばバーチャルな積立金を持つというようなことなんだろうと思います。
その意味で、例えば、現行制度で仮に事前積み立てでやるとすると幾ら必要かという御議論で、たしか二十一年の財政検証では、五百五十兆という数字だったと思います。
今のお話なんですが、今大臣が申し上げたように、自分の分、それから過去の分も含めてどれだけ積立金を持つことになるのかというのは、小黒先生のお話もありましたが、そもそもどういう給付水準を設定するんだ、つまり、事前に幾ら積めばいいことにするんだという給付の設計の問題。
それと、これは既に今問題にしましたが、事後的な経済変動があった場合に、その部分を、事後的には調整しない、確定拠出でやるというなら別ですが、一定調整するということになりますと、ある程度、事後的な経済変動を織り込んだ、バッファーを持った積立金を持つということになりますので、そういったものも考えないといけない。
みたいなことを考えますと、かなり細かい、制度の基本的なところが決まらないと額が決められないものですから、その意味では、ちょっとそういう試算はできないということでございます。
○重徳委員 御丁寧な御説明をありがとうございます。しかし、ゼロ回答ということですので。
やはり、給付水準をどうするかとか、それも全部、試算というふうに私申し上げたわけでありまして、もちろん、制度として決まっていないわけですから、それはいろいろな仮定を置かざるを得ないと思います。
しかしながら、世の中で、年金を払ったってどうせ返ってこないだろうと思っておられる、特に若い世代の国民の皆さんがこれだけたくさんいるわけですから。やはり、払っても返ってこないと思っているからですよね。だったら、払って、幾らかは確定はしないものの、確定給付ではないものの、ちゃんと運用されて自分の分として返ってくるんだ、こういう制度を検討すらしていないかのような御答弁に、非常に私は不満を覚えます。
やはり、こういったことを、いろいろな可能性があるんだ、この法案には全く想定外だということで大臣も言われましたけれども、そういう可能性を排除して、今回プログラム法案だというんだったら、全然、結局、抜本改革を、あるいは幅の広い可能性の改革というものは考えていないということではないでしょうか。
私は、今の積立方式の議論については、特に、日本維新の会としては、法案もつくって、これから提案をして、国会において議論をしたいというふうに思っておりますので、これからちょっと事務方の皆さんとも、一定の、どういう前提を置いた上でかということも意見交換をしながら、私たちは私たちなりの数字を持ち寄りますので、ぜひ、厚労省の数字とも照らし合わせながら、よりよい制度をともに目指していきたい、このように思いますが、大臣、いかがでしょうか。
○田村国務大臣 今、そういう考え方はないと申し上げたのは、そもそも、ちょっとまだ我々も、言われている詳細がわからないものでありますから、ですから、なかなか、今、現時点で、いただいた情報をもとに、それに対してどうだというようなことは申し上げられないと言ったわけでございます。それは、いろいろな御提案があられると思いますし、その中において、これは持続可能性もあってすばらしいというようなものがあれば、それはまたいろいろと一考に値する部分もあると思います。
いずれにいたしましても、どういうような内容なのか、おつくりになられるものを楽しみにさせていただいております。
○重徳委員 では、引き続きその点は、今回の社会保障プログラム法案に対する我が党の態度はともかくとしまして、議論を続けさせていただきたい、このように思います。
それでは、ちょっとテーマをかえたいんですけれども、といっても年金の中ですけれども、前回、最後の方でちょこちょこっと終わってしまった、支給開始年齢の話でございます。
前回もお尋ねいたしましたが、社会保障国民会議でどのような議論があったんですかという私の質問に対しまして、大臣から、支給開始年齢について、平均寿命が延びる中、引き上げてもいいのではないかという議論もあるという御答弁がありました。
まず、これは確認なんですけれども、二〇〇四年の改正で百年安心と言われた、その制度設計の中では、支給開始年齢というものはどのように織り込まれていたのか。つまり、六十五歳なら六十五歳ということであれば、なぜ今度引き上げるという議論になっていくのか、あるいは、これはもう当時から織り込み済みの議論、あり得るべしという議論だったのか、このあたりについてお願いします。
○香取政府参考人 後ほど大臣からも御答弁があると思いますが、十六年改正の段階では、厚生年金の六十五歳までの引き上げということは、今現在プログラムで進んでいるものは織り込んで推計をしておりますが、そこから先は、当然ながら前提としない推計を行っているところでございます。
○重徳委員 それにしても、推計はともかくとして、今回は支給開始年齢を引き上げることもあり得べし、そういう議論も既に国民会議でもあるわけですから、このプログラム法案に基づいて、これから支給開始年齢の引き上げについて議論もあり得るということだと思うんです。
ただ、アバウトなこの法案によりますと、年金の中の結論も何も出ていない論点整理の中ででさえ、一体どこで支給開始年齢の議論を読み取るのか、全くわからない条文になっていると思いますよ。事務方の方に既にそういう話はしておりまして、どこで支給開始年齢の議論を読むんだということをお尋ねしましたら、これは六条二項三号なんですけれども、「高齢期における職業生活の多様性に応じ、一人一人の状況を踏まえた年金受給の在り方」ということで、全然普通の感覚では読めないですよね、これは。
つまり、本当に踏み込みが足りない法案だなと感じます。だって、第三号というのはまさにそこがコアだと思うんですよ。確かに、「職業生活の多様性に応じ、」それは何歳まで働くんだとかいろいろな議論がありますし、そういう中で決めなきゃいけないのが支給開始年齢の話なんですが、だったらそのように書けばいいと思うんですが、そこについては何も書かれていない。
二〇〇四年の試算の中では織り込まれていないという話ではありましたが、しかしながら、大臣が前回明言されているわけですから、当然そのような議論があって、その上でできた法案なんですから。何かよく意味のわからない条文、論点になっていることが、非常に違和感というか、言っていることと書いていることが随分違うなというふうに思います。
本当に含まれているんですか、これは。
○田村国務大臣 わかりづらくて申しわけないと思いますけれども、まず、引き上げるということが決まったわけでも何でもございません。論点として、そういう御議論もあられたということであります。
こう書いたのは、一つは、今、六十五歳まで継続雇用を企業にお願いする法律を昨年成立させて、スタートしてまいりました。これは、順次、三年置きに一歳ずつ上がっていくというような状況であります。これで六十五歳までいくんですよね。これは、まさに、厚生年金の支給開始年齢の引き上げのスケジュールと合わせて、そういうふうにお願いをさせていただく法律でございました。
要は、働けないと、例えば、年金はもらえない、仮に六十八歳になった、だけれども働けるのは六十五歳までだ、そうすると三年間どうするんだという問題は大変大きな問題でありまして、そこの問題がクリアできない限り、なかなか支給開始年齢を無理やり引き上げるということはできないわけであります。それは国民生活、老後の生活が破壊されるおそれがありますから。
そこで、ここに書いてあるのは、そこら辺のところをちゃんと状況を見ながら、一方で、我々は生涯現役社会ということも標榜いたしておりますので、高齢者の方々も定年後働けるようなそういう環境をつくっていこう、元気なうちは。ですから、そういうものがある程度社会の中で確立されてきたときには、そういうような年金の引き上げもあり得るべしだねというような中での議論でございましたので、こういう書き方をいたしました。
もう一点、先ほど委員が、百年安心といいながら支給開始年齢を引き上げるというような議論があるのも、これまたおかしいじゃないかという話なんですが、ここは、財政を均衡化させるという意味では同じなんです。
問題は、支給開始する年齢がおくれると、面積は一緒ですから、もらえる年金の平均寿命まで生きると期間が短くなりますよね、もらい初めを遅くすると。そうすると、面積はその分だけ高さが高くなるわけでございまして、支給される水準が六十五歳からもらっているよりかは厚くなるという意味では、財政は同じように均衡するというようなたてつけになるんだろうなというふうに我々は認識しながら、こういう問題提起というものを国民会議の中でいただきながら、いろいろと頭の中で整理をいたしておったというような状況でございます。
○重徳委員 前回も指摘をしましたけれども、報告書には、現在は二〇二五年までかけて厚生年金の支給開始年齢を引き上げている途上にある、ですから、「直ちに具体的な見直しを行う環境にはないことから、中長期的課題として考える必要がある。」こういうような書き方でありますが、大臣が前回もここが一つのポイントだというふうにおっしゃったものですから、こだわるわけなんですけれども。
要は、支給開始年齢を引き上げても総額が変わらないみたいな、つまり、逆に言うと、その分だけ持ち上がるというような考え方だと思うんです。
この問題は、年金財政上の問題、マクロというか保険者としての問題はそれで済むのかもしれませんが、実際に年金を受けるのを待っている側からすれば、一体、何歳から年金がもらえるのかということは早く決めなければ、やはり人生設計ができないと思うのですよ。一年支給開始年齢が延びちゃったら、その分の負担は自分でしなきゃいけないから、お金もためなきゃいけない。こういうことは、やはり常に先んじて先んじて決めていかなきゃいけない、これが年金を受ける側の立場だと思っております。
その意味で、今回、年金財政がどうなるかということもさることながら、実際、二〇二五年以降、支給開始年齢はどのように引き上がっていく見通しなのかというあたりについて、少し、大臣からも詳しく御答弁いただきたいんです。
○田村国務大臣 今回の国民会議の報告書は、一九七〇年代型のモデルから二〇二五年、これはまさに今の団塊の世代の方々が七十五歳以上、後期高齢者という言葉を使うのがいいかどうかは別にいたしまして、そこに差しかかっていく、そういうときに向かってのモデルに移そうよという話でございまして、二〇二五年までに引き上げるということは、まず想定はいたしておりません。
では、その後はどうなんだという話でありますが、二〇二五年以降に引き上げるということも決まったわけではありませんでして、いろいろな検討はしなきゃならないとは思います。
ただ、一方で、一つ、これも議論していませんから一つの考え方なんですが、選択ということもあるのかもわかりません。自分は六十五歳から、六十七歳から、七十歳からと。今もう実は選択制で、七十までは選択できるんですが、それをさらに七十五歳まで延ばすということもあるかもわかりません。そうなれば、自分の人生設計を立てるのに、長く働ければ、将来、これぐらいもらって、老後がやれるね。だけれども、自分はもうそんなに長く働きたくないから、六十五歳からもらって、この金額だけれども、これぐらいの貯蓄があればと考える方もおられるかもわからない。
そういうような、これからいろいろなことがあろうと思いますから、二〇二五年以降どうするかに関しては、広範にいろいろな方々の御意見もお聞かせをいただきながら、変に国民の皆様方が不安にならないような方向で、議論は順次進めてまいるということになろうというふうに思います。
○重徳委員 もちろんいろいろな考え方はあるとは思うんですが、少なくともこの条文の書き方では全く読み取れませんし、このプログラム法案が何を目指すものなのかということが、本当に論点整理もいいところで、非常に生ぬるい中身ではないかということを御指摘させていただきたいと思います。
それから、最後に、世代間格差について、前回も指摘をしましたけれども、国民会議の報告書で、随分、世代間格差とか公平性についてミスリーディングなことのないようにというような内容があるということについて、私は少し不満があるというふうに申し上げました。
つまり、報告書では、四十五ページ、「(2)世代間の公平論に関して」というところなんですが、残念ながら、世間に広まっている情報だけでなく、公的に行われている年金制度の説明や年金教育の現場においてさえも、給付と負担の倍率のみに着目して、これが何倍だから払い損だとか、払った以上にもらえるとか、そういう情報引用が散見されているのは残念だ、こういうことをがんがん言っているんですよね。
ただ、やはり今深刻なのは、保険料を払ったって、どうせ自分たちには返ってこないという非常にシンプルな疑問なり不信感なのでありまして、若者の、若者というか現役世代全体のですね。そういうことを払拭しなければ、やはりこの国の今後の社会保障というものは、特に年金、まあ年金のみならず、社会保障の持続可能性というものは非常に難しくなってくると考えております。
この法案のタイトルが、持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進の法律案であるがゆえに、この部分は非常に私はこだわりたい部分であります。
この世代間格差の解消という大テーマ、欠くべからざる論点なりテーマについて、この法案の中に、どこにどのように書かれているんでしょうか、特に年金に関して。
○香取政府参考人 今、国民会議の報告書の御引用がございましたけれども、世代間格差については、年金制度だけではなくて私的扶養も見なきゃいけないという論点ですとか、あるいは、要は、世の中全体として少子高齢化が進むので、年金だけではなくて、全ての生活において働く人が少なくなるということになりますので、これは社会保障だけの問題ではないわけですが、いわば社会保障制度が、大きな少子高齢化の中で生じている社会全体の世代間のアンバランスを本当は緩和していく、少なくともそれを拡大するようなことがあってはならない、そういう問題意識だろうと思います。
報告書の中では、一つは、今の社会保障制度全体が、給付が高齢世代中心で、負担が現役世代中心という構造になっているということ、それから、お話ありましたように、制度の持続性でありますとか制度運営についてさまざまな問題があって、信頼感の低下とか不安の増大があると指摘をした上で、社会保障全体を全世代型へ転換する、そういう基本的な考え方をお示しして、持続可能性と将来の給付の確保に必要な措置を進める、そのような観点で、それぞれ医療、年金、介護について御指摘がありました。
年金制度につきましては、今先生御指摘のあった六条ですかのところに幾つか書いてありまして、一つは、マクロスライドに基づく年金給付額の改定のあり方、いわゆるデフレ下でのマクロスライドの発動ということについて検討が要る。
それから、もう一つは、前回、さきに法律改正いたしましたが、パート労働者等短時間労働者にきちんと厚生年金あるいは健康保険を適用するという形で、若年の非正規についてきちんとした保障を与えるということ。
それから、三番目が、今お話のありましたいわゆる支給開始年齢のお話で、高齢期における職業生活の多様性に応じ、一人一人の状況を踏まえた年金受給のあり方。
四点目が、これもきょうも質問がありましたが、高額所得者の年金給付のあり方ということで、これについては、年金制度の中だけではなくて、公的年金等控除等を踏まえました課税のあり方も含めた見直しをする。
一応、これが、具体的に条文の中では指摘されている事項でございます。
○重徳委員 今、最初に局長が言われましたマクロ経済スライドの部分なんですけれども、これはデフレ下でもやるという方向でしょうか。単にこれは論点整理だと私はずっと言っておりますけれども、これについて検討して、やるかどうかもこれから考えるということなんでしょうか。それとも、もう固い決意で、デフレ下であろうと何であろうと、マクロ経済スライド、すなわち、少子高齢化の人口動態を踏まえたスライドというのをやるという決意、覚悟なのでしょうか。お尋ねいたします。
○田村国務大臣 デフレ下でマクロ経済スライドをかけなかったこと自体が、年金の財政にとってマイナスであったことは事実であります。ただ、これをやるかどうかというのは、これからいろいろと議論もしなきゃならぬと思いますが、少なくとも、議論をしなくていいような状況をつくるというのがアベノミクスでございますので、デフレがずっと続けば、年金だけじゃなくて日本の経済が潰れちゃいますので。
まず、正常な経済状況、つまり、物価が上がり、賃金がそれ以上に上がり、経済が成長していく、そのような経済状況に戻すというところに全力を尽くしていくということでございます。
○重徳委員 デフレ、インフレ、経済は動きますので。だから、問題はやはり、長期間で見たときに、その場その場の判断で先送りにしないということだと思います。
それが結局、これから百年間、これまで七十年間の中で制度がいろいろ移り変わってきてしまった。その結果、今、想定可能だったはずの少子高齢化への対応が十分にできていないどころか、もうとんでもない格差を生んでしまっているわけですから、この点に対する確固たる覚悟の御答弁が、今、本当はいただきたかったんですけれども、まず議論しなくてもいいような状況をつくるというのも何か不十分だなというのが正直な印象です。
以上申し上げまして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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