○渡辺委員長 次に、重徳和彦君。
○重徳委員 改革結集の会、重徳和彦です。
私は、きょうは、認知症の鉄道事故への賠償責任について、柚木委員からも御質問がありましたが、私の方からも少し掘り下げてみたいと思っております。
二〇〇七年ですから、もう八年以上前ですね。当時九十一歳の男性が鉄道でひかれました。そして、その奥さんが、当時は八十五歳という高齢でございました、そして、御長男がおみえになるというところに対して、鉄道会社が振りかえ輸送の費用として損害賠償を請求したというものでありますけれども、最高裁の結論としましては、賠償責任がないということでありました。
さまざまな報道がありまして、やはり遺族の皆さん、よかったと安堵しているという見出しが躍りました。
でも、この本当によかったというのが、私は、賠償責任がないよという判決がよかったというだけではないと思います。
裁判所という公的な機関が、認知症の本人そして御家族の実情を理解してくれてよかった。それから、自分たちは、その一つの家族だけじゃなくて、多くの、何百万人という認知症とその家族の方々をしょって立つ、自分たちだけの裁判ではないというプレッシャーとの闘いが済んでほっとした。さらには、当然のことながら、肉親の方が亡くなっているわけですから、その死とともに、よもやの大企業との八年余りの法廷闘争、本当に不安な、そして、一審、二審では厳しい判決が出され、そういう苦しい日々からようやく解放されてよかった、さまざまな思いがこれは想像されるところであります。
きのうの朝も、記事に出ていましたね。貨物列車に認知症の男性が、これは七十九歳の方が宮城県の方でひかれたということがございました。
認知症の方で、家族がお店、ドラッグストアの中で買い物をしている間、車に残っていたんだけれども、家族が戻ってきた際にはいなくなっていた。そして、ちょっとびっくりなんですが、お店からおよそ二十キロ離れたところに数時間後にいて、そして線路内で列車にはねられたということであります。
本当にいつ自分事として起こるかわからないようなこのような事故、事件なのでありますけれども、基本的には、今回の判決はよかったと思いますが、さまざま課題が残っています。
裁判所は、法律上の責任を負うケースを、監督義務を引き受けたと見るべき特段の事情がある場合に限定をしたということでありますが、これは総合判断でありますので、一々、家族のかかわり方、介護の状況、いろいろな諸般の状況を総合考慮しないと監督義務があるのかないのかわからないとか、それから、被害を受けた側からすれば、賠償責任を負う人がいるのかいないのかもわからない、こういう社会の安定性、安心感に支障が生じるのではないか、こういう声も多いんですけれども、まず、厚労省の御見解をお伺いします。
○三浦政府参考人 まず、今回の件で亡くなられた認知症の方には、改めて御冥福をお祈り申し上げたいと思います。
今回の判決を受けまして、認知症の方の事故に対する賠償の問題につきまして、例えば民間保険の活用など、さまざまな対応の選択肢が指摘されていると承知しているところでございます。
今後、社会として備えるためにどのような対応が必要かということにつきましては、広くさまざまな立場から議論していただくということが重要だと考えております。
そのような観点から、関係省庁と連携いたしまして、実態の把握に努め、認知症高齢者等にやさしい地域づくりに係る関係省庁連絡会議において、各省庁間での情報交換も含め、議論が深まるようにしていきたいと考えているところでございます。
○重徳委員 地域づくりとか認知症の方をみんなで支えていくというのは、政策論としてはどんどん進めていくべきことだと思うし、このニーズはどんどん大きくなると思うんですが、やはり法律論として今回の裁判結果というのは大きな課題を投げかけたと私は思っています。
今回のケースとはちょっと違うんですけれども、今一万人いると言われる行方不明の認知症の方、こういう方がどこかで何かの事故や事件に巻き込まれたというような場合に、今回の判決を踏まえると、責任を問われるようなケースというのは想定されますか。
○三浦政府参考人 今回の判決などを拝見いたしますと、認知症の方が第三者に損害を与えてしまった場合、家族に損害賠償責任が課されるか否かということにつきましては、介護をしている家族に監督義務があるかどうか、今回の判決で掲げた六つの事項を総合考慮し判断されるということ、また、監督義務があった場合に、家族がその義務を怠っていなかったかどうかを個別に判断し、決定されるということになると考えております。
○重徳委員 行方不明だからといって、その定義もいろいろありますけれども、だけれども、全くどこに行っちゃっているかわからないからといって、責任が全くないとは言えない、総合考慮をした上で、六つの事項に当てはめて、そういう御答弁だったと思います。
つまり、この一万人と言われる方々についても、どこかで何かが起こったときに責任を問われるケースはないと一概に言い切ることはできない、そのような御答弁だったと思います。
これはすごく大事なところなんですよね。確かに、毎日かかわっていて、本当に必死の思いでお世話をされている家族の方が、さらにその上いろいろな責任をしょわされる、そして、その可能性がどのぐらいあるのかわからないということでありますし、いなくなっちゃったからといって、どこで何をしているかわからないわけなんだけれども、それでも何かしらの賠償責任を含む責任論が生じ得る、こういうことでありますから、非常に不安のただ中にある方が、これは統計のとり方によりますが、全国で四百万人以上いると言われる認知症の方を取り巻く問題が、このように起こっているということであります。
これは、認知症の方が、今回の鉄道事故のように、ある意味、鉄道会社に対する被害をもたらす、つまり、加害というとちょっとイメージが湧かないんですけれども、被害を与えてしまうという場合もあると思うんです。
一方で、認知症の方本人が行方不明になったりして、被害者というか、誰からも構われずに病気になっても捨て置かれるとか、そういう被害者になることもあると思うんですけれども、通常、これに対する保護責任があると思うんですけれども、家族には。このあたりも同じような考え方でいいんですかね。ちょっと、通告しておりませんけれども、どんな御見解でしょうか。
○三浦政府参考人 監督義務ということでございますので、その点につきましては、今回の判決と同じような考えということが考えられるのではないかと考えております。
○重徳委員 どういうケースであれ、監督責任の有無、その義務があるかどうかという、有無が問われるということなんですが。
もう一度、翻って、最初の今の三浦局長の御答弁で、地域で認知症の方をみんなで支える、見守るという体制を関係省庁で整えていくということなんですが、さっき言ったように、政策論としてはそれは非常に、有効な方向に誘導していく政策というのがあったらすごくいいと思うんですけれども、やはり、これは民法七百十四条ですが、この規定というのは、被害を受けた方の救済という面が非常にあると思うんですよね。だから、誰のせいでもない、みんなのせいだよねというか、みんなで守らなきゃいけないんだよねと言っているだけでは、何の解決にもならないわけであります。
しかも、この鉄道事故の場合は、大きな、JR東海という会社なものですから、理屈は理屈として賠償請求をするけれども、結果として認められなかったならば、それはそれで仕方がない、企業としての損失はあるけれども仕方がないということになると思うんですが、個人が何かしらの形で被害を受けたときに、これはもう本当に泣き寝入りになってしまうというケースがあると思います。
地域でということをよく言われますけれども、地域で認知症の方を見守っていこうといったときに、その地域の方にもそういう法的な責任が何か及ぶという可能性はありますか。その辺、イメージは持っておられますか。
○三浦政府参考人 一般的には、住民の方々はまさにそこで生活をされていて、一般的な意味で、何か注意すべきことというのはあるかもしれませんが、少し具体的にどのような状況なのかということもその検討には必要なことだというふうに思います。一概にこうだというようなことを申し上げるというのは、この段階では難しいのではないかというふうに思います。その状況によりけりだというふうに考えております。
○重徳委員 もともと、地域で支えるということは、必ずしも責任論とか法律論となじまないような場面もあるかもしれませんけれども、でも、事金銭的なことに限らず、精神的なものも含めて、やはり法律上の責任が伴うケースというのは想定されると思うんです。政府を挙げて、これから何百万人という認知症の方々、とりわけ重度の方を支えよう、地域で支えるシステムをつくっていこうということであれば、これはやはり、非常に重たい、目を背けたくなるような現実にも目を向けなければならないというふうに思うんです。
決していいこととは思いませんが、家族が責任を負うということであれば、それはそれで一つのわかりやすい割り切りなんですよね。だけれども、さまざまな事情を考慮して、今回、最高裁が必ずしもそうじゃないという判断をした以上、では、誰が認知症の方を支えていく責任があるのか、そして何か起こったときに責任をとらなきゃいけないのか、こういうことも法制度として検討していく必要があるんじゃないかな、私はそう思っております。
柚木委員からは、結局誰の責任でもない、誰も責任をとれないという場合だって結果としてあるわけですから、その場合に、起こった被害を賠償する保険制度というものを、さまざま御提案ありまして、そういった仕組みもぜひとも検討していく必要があると私も思いますが、その前提として、今回の、総合的に六項目に基づいて判断するという基準らしきものが最高裁から示されたものの、具体的当てはめというものが非常に想像しにくい、抽象的な基準になっております。
こういったことについて、大臣にお尋ねしたいんですけれども、今現状、今認知症の方のお世話をしている方々は、今回の最高裁判決をもっても、さっき言ったように、一旦ほっとする部分もある一方で、自分の場合はどうなるんだろうかということに、また悩ましい課題に直面されているんじゃないか、そういう面があるんじゃないかと私は考えますが、厚労省として、この曖昧な感じ、基準は示されたもののまだよくわからない、そういうものに対して、一定のルールづくり、ガイドラインといいましょうか、もう少しみんながわかるような明確なルールを何か検討して、作成して、公表していく、こういったお考えはないでしょうか。
○塩崎国務大臣 今回の最高裁での判決に至るまでに、下級審で責任あり、形は第一審、第二審、少し異なるわけでありますが、そういう判断が出た後に、最高裁で今回のような結論になったということがございまして、私どもとしてはやはりこれを重く受けとめて、一つの司法が下した判断ということで受けとめなければならないと思っています。
この六項目の、監督義務者としてのその責任があるかどうかということの判断の中身を見てみると、例えば、認知症の方と親族関係の有無や濃淡、それから、認知症の方の心身の状況や日常生活における問題行動の有無、内容。こういったことを考えると、右か左かとか、白か黒かとかいうことでは全くなくて、グラデーションのある、非常に無限大の組み合わせというものがある中で、これらの項目についてどう考えるのかということで、監督義務を果たしているかどうかということを判断するということなんだろうなと、今回の判決は。見る限りはそんな感じがいたすわけであります。
いずれにしても、第三者に認知症の方が損害を与えてしまった場合の家族の監督義務の有無については、今回の判決を踏まえて、やはり個別の事情に応じて判断をしていくことになるんだろうと思うので、今先生おっしゃったように、お気持ちはわかりますが、ルールとかガイドラインとかそういうようなものを設けて、そこで皆さんに安心していただいたらどうかということではありますけれども、なかなかそれをするのはそう簡単ではないというふうに受けとめるところでございます。
そういうようなこともあって、とりあえず、今回、新オレンジプランをつくったときの省庁連絡会議、この枠組みの中で、一体、実態としてはどういうことを、我々、これから本格的な高齢社会を迎えるに当たって、認知症もふえるという中にあって、どういうことを押さえなきゃいけないのかという実態把握をやっていきながら、国民的な議論をリードしていければというふうに思っております。
そして同時に、やはり新オレンジプランで示した、地域で、みんなで、認知症に仮になったとしても当たり前のように安全で安心の暮らしができる、そういう仕組みを、これはヒューマンネットワークですから、お互いに気がついた人がどう助けていくのか。大牟田市で拝見しましたけれども、本当に携帯電話に、スマホにどんどん情報が行って、多くの人がそれに目を向けて、守ろう、救おうということをやっているのを見て感銘を受けましたが、そういうことを含めて、しっかりやっていかなきゃいけないというふうに思います。
○重徳委員 終わりますけれども、政策はどんどんどんどん進めていくべきだと思いますが、さっきから申し上げているように、やはり心配なのは法律論でありまして、いつ賠償責任を負わされるようなことがあるかどうかわからない、こういう不安の中でも御家族の方は一生懸命やっているということでありますので、この点、難しいということはもうおっしゃるとおりであります、ぜひ、みんなの英知で、しかしながら、やはり安心して認知症の方を見守り、支える仕組みをつくっていくことができればと思っております。また議論させていただきたいと思います。
ありがとうございました。